日本を代表する演出家蜷川幸雄が昨年亡くなった。僕が演劇に魅了されたのは蜷川幸雄演出の舞台作品を観た事によってだ。人生で初めて見た舞台作品。それをきっかけに、僕は演劇を学んだ。蜷川系の劇団に入って演技を学び、その後はスタニスラフスキーメソッドを学んだ。蜷川幸雄の死から僕の思い出と僕が学んだ蜷川幸雄をまとめてみた。
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元々は俳優だった
蜷川さんは「劇団青俳」に所属する俳優だった。俳優であった当時の映像もネット上に残ってる。「役者としての才能」に限界を感じ、演出家に転向するわけだけれど、現代のタレントがTVで見せる芝居なんかより全然うまかったりする。
演劇を少しでも学ぶと分かるのだが、演劇の訓練を受けた俳優の芝居と、きちんとした演劇の訓練を受けないでやる芝居の差ははっきりとした差がある。
そういった意味で現代の有名人がTVで見せる芝居なんかより、自然に観れると感じるのだけれど。
演出家への転向と灰皿投げ
蜷川さんは30代で演出家として再スタートする。自らの劇団「現代人劇場」を作り、蟹江敬三、石橋蓮司などと過激な作品を世に送り込む。その後、劇団を解散し、商業演劇の演出家となる。
当時の商業演劇の俳優等の稽古での怠惰さや、やる気のなさにぶち切れた蜷川は激怒した。
そこで有名な「灰皿投げ」が誕生した。
イクメンのさきがけだった?!
商業演劇に移籍しても、演出家としての収入は雀の涙だった蜷川さん。当時、女優と結婚し子供も授かっていた状況の中で、自分が主夫となり子供を育てていくという選択を取ります。
写真家の蜷川実花さんを蜷川さんが育児していくわけですね。
これ凄い柔軟ですよね、当時は女性は専業主婦、男性が稼ぎをもってくるという時代の中で育児ですからww
世間に流されないこの柔軟さ。やっぱり違いますよね~。
育児研究と実践
蜷川さんは、演出に関して「知識で武装」するという様な事をおっしゃってまして。育児にもその姿勢はあらわれています。
「スポック博士の育児書」や松田道雄の育児書などを読み育児にも「知識武装」で挑み、男性なのに育児疲れになってしまうほどの徹底振りだったそうです。
後年、年平均8作品の演出数
蜷川さんの仕事は60代半ば以降に集中している。2011年位からの5年間で40作品ほどの作品を手がけている。僕の記憶では埼玉ネクストシアターやゴールドシアターを設立した位から、スケジュールが過密になっていった気がする。
実際、蜷川さんのHPでスケジュールを確認していたが、2作品は同時で演出していたと思う。
普通の人間のできる範疇を超えていると思いました。
はっきりいって年間で平均6~8作品をつくり、全て高いクオリティを保つなんで常人じゃできません。高齢の肉体にして本当にバケモノであり、天才だと思います。
僕が考える蜷川演出の魅力
僕が思うのは蜷川さんの演出は、大きな劇場空間を自在に操るところだと思います。蜷川さんの舞台はどれも壮大で華々しい。
実際、演出をしてみるとわかるのですが劇場空間を埋めるのって大変なんですよ。
空間を支配する力、それも小劇場であろうと大劇場であろうと対応できる才能はものすごいと思います。
蜷川さんと同時代を生きた演出家の鈴木忠志さんも、蜷川さんの大空間に対する演出力は認めているところでもあります。
東京オリンピックの開会式の演出をやって欲しかった
僕個人としては、東京オリンピックの演出は「世界のNINAGAWA」にやって欲しかったなぁとしみじみ思います。
蜷川さんは生前、他国からの外国人俳優と日本人俳優を起用した作品も取り組んでおりました。日本と世界とをつなぐ壮大な演出が出来るのは、あのタイミングでは彼以外いなかったと思います。
蜷川さんがオリンピックで世界に突きつける演出を観たかったものです。
藤原竜也、小栗旬を初めとする蜷川さんに指導を受けた有名俳優・女優によるコメントを多数掲載した本。蜷川さんの人物像が伺える。⇒
蜷川さんが育児に使用した「スポック博士の育児書」・松田道雄氏による育児書。